
はじめに
前回の記事では、「MELLOW DEAR US」(以下、MDU)の「女王様」こと円果望見について考察しました。(※前回の記事リンク「『空気』に窒息し、『支配』で呼吸する。円果望見の幸福論」)
今回は、そんな望見に目の敵にされながらも朗らかに笑い、高いコミュニケーション能力でジュイスから「MDUの架け橋」とまで言わしめるハイパフォーマー、久遠舞珠(くおん ましゅ)について深掘りします。
一見すると、彼は「盛り上げ上手なフルールボラー」のキャッチコピー通り、場をパッと明るくする陽気なムードメーカーです。 サーカス仕込みの身軽さと、誰とでもすぐに打ち解ける人懐っこさは、MDUという個性派集団の貴重な潤滑油に見えます。
一見すると、彼は「盛り上げ上手なフルールボラー」のキャッチコピー通り、場をパッと明るくする陽気なムードメーカーです。 サーカス仕込みの身軽さと、誰とでもすぐに打ち解ける人懐っこさは、MDUという個性派集団の貴重な潤滑油に見えます。
しかし、小冊子『Chocolat Assort』の行間を読み解くと、その「明るさ」の質感が少し異様であることに気づきます。 彼に割り当てられたスイーツ「フルールボラー」が意味する、残酷なまでの「中身のなさ」。 そして、ファンとの禁断の交流(DM)の裏にある、冷徹な「生存戦略」。

本記事では、なぜ彼が危険な営業に手を染めるのか、そしてなぜ円果望見と決定的に決裂しているのか。 その背景にあるのは、単なるモラルの欠如ではありません。MDUという完成された箱舟に遅れて乗ってしまった彼が、生き残るために選び取った「人造のバランサー」としての悲しい業について考察します。
※100%妄想です!各自、自衛の程よろしくおねがいします。
【ATTENTION】
ネタバレについて:
本記事は『あんさんぶるスターズ!!』および小冊子『Chocolat Assort』の核心に触れるネタバレを含みます。
独自解釈について:
作中の描写をもとにした筆者の独自考察です。少し強い表現(死ぬ、殺す、枕営業等)を用いることがありますが、キャラクターの多面的な魅力を掘り下げることを目的としています。
前提知識:
小冊子『Chocolat Assort』の内容を把握しているとより深くお楽しみいただけます。電子版はこちら

【Subject:久遠舞珠】
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身長/体重: 170cm / 56kg
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血液型: AB型
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年齢: 23歳(ES2年目 4/1時点)
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趣味:写真撮影、SNS更新
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特技: 振り付けは一回で覚えられる
【表の顔:無垢な愛されアイドル】
白鳥藍良が「すっごくラブい」と評する通り、可愛らしいルックスとサーカス仕込みのアクロバティックなパフォーマンス、人懐っこい笑顔で周囲を魅了するアイドル。
一人称は「おじさん」なのに、小動物のような愛らしい仕草や言動に、同じユニットのメンバー、ジュイスも思わず「かわいい」と言ってしまうほど。
さらに、アイドルとしての実力も確かで、ダンススキルはMDUの中でも随一です。
白鳥藍良が「すっごくラブい」と評する通り、可愛らしいルックスとサーカス仕込みのアクロバティックなパフォーマンス、人懐っこい笑顔で周囲を魅了するアイドル。
一人称は「おじさん」なのに、小動物のような愛らしい仕草や言動に、同じユニットのメンバー、ジュイスも思わず「かわいい」と言ってしまうほど。
さらに、アイドルとしての実力も確かで、ダンススキルはMDUの中でも随一です。
【裏の顔:生存本能の塊】
しかし、その実態は――。 その「人懐っこさ」を武器に、禁断のDMでファンと繋がり、自身のプライベートさえも切り売りして味方につける、老獪な道化師(ピエロ)。
人生で5回も死にかけた経験を持ちながら、なお舞台に上がることを選び続ける強者でもあります。
彼は途中加入という立場ゆえに、この個性派集団における「自分の居場所」を確保するために、冷徹な計算を行いました。 辿り着いた答えは、誰もやりたがらない「汚れ役」を一手に引き受ける「バランサー」。自分の加入で荒れたファンを、自分ひとりの力(DMによる囲い込み)で解決しようとするその姿は、自己犠牲とも、狂気とも取れます。
しかし、その実態は――。 その「人懐っこさ」を武器に、禁断のDMでファンと繋がり、自身のプライベートさえも切り売りして味方につける、老獪な道化師(ピエロ)。
人生で5回も死にかけた経験を持ちながら、なお舞台に上がることを選び続ける強者でもあります。
彼は途中加入という立場ゆえに、この個性派集団における「自分の居場所」を確保するために、冷徹な計算を行いました。 辿り着いた答えは、誰もやりたがらない「汚れ役」を一手に引き受ける「バランサー」。自分の加入で荒れたファンを、自分ひとりの力(DMによる囲い込み)で解決しようとするその姿は、自己犠牲とも、狂気とも取れます。

「Fleurs Volages」:移ろいやすい花の運命
小冊子で彼らに割り当てられたスイーツのモチーフ。ここには、残酷なまでの「格差」と「役割」が隠されています。
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小鹿ジュイス【トルテ】: 王道のチョコレートケーキ。MDUの土台であり、絶対的な「王」。
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円果望見【ガナッシュ】: 繊細で濃厚、温度管理(ご機嫌取り)が非常に難しい気高き「女王」。
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甘楽チトセ【ブラウニー】: 密度が高く、ずっしりと重い「影」。味わいは甘く優しい、みんなに好かれる「王子様」。
そして、久遠舞珠【フルールボラー(Flødebolle)】。 これはデンマーク発祥のチョコレート菓子で、薄いチョコの中にマシュマロやメレンゲ(泡)が入っています。
.......このお菓子を知っていましたか?
.......このお菓子を知っていましたか?
「何これ?」という異物感。中身のない「泡」
他のメンバーが誰もが知っているスイーツの中、舞珠だけが異質です。さらに、お菓子そのものも「外側は甘くコーティングされているが、中身はほぼ『空気』」です。噛めば形もなく消えてしまうその構造は、「甘い笑顔で近づいてきたが、その皮を剥げば中身は空っぽで、最初から人間としての実体などなかった」……そんな、得体の知れない恐ろしさを暗示しているように思えてなりません。
他のメンバーが誰もが知っているスイーツの中、舞珠だけが異質です。さらに、お菓子そのものも「外側は甘くコーティングされているが、中身はほぼ『空気』」です。噛めば形もなく消えてしまうその構造は、「甘い笑顔で近づいてきたが、その皮を剥げば中身は空っぽで、最初から人間としての実体などなかった」……そんな、得体の知れない恐ろしさを暗示しているように思えてなりません。
根を張らない「移ろいやすい花」
また、この言葉はフランス語の「Fleurs Volages(移ろいやすい花々)」とも響き合います。 サーカス団は、一つの場所に定住しません。花が咲いては散るように、町から町へと移動し、決して根を張ることはない。 舞珠という存在もまた、MDUという舞台の上で一時的に咲いているだけの「幻」であり、いつかはふっと消えてしまうのではないか……そんな儚さと危うさを孕んでいます。
また、この言葉はフランス語の「Fleurs Volages(移ろいやすい花々)」とも響き合います。 サーカス団は、一つの場所に定住しません。花が咲いては散るように、町から町へと移動し、決して根を張ることはない。 舞珠という存在もまた、MDUという舞台の上で一時的に咲いているだけの「幻」であり、いつかはふっと消えてしまうのではないか……そんな儚さと危うさを孕んでいます。

「遅れてきた異物」と、組織された「運命共同体」
彼の歪んだ行動の根源を知るためには、まず彼がこのユニットにおいてどういう「立ち位置」だったのかを確認する必要があります。 HiMERU、そして白鳥藍良の証言が重要な手掛かりです。
「ライブを見たんだけど、舞珠くんってすっごくラブくない!? キャラも立ってるし、ダンスも上手だしびっくりしちゃったよォ。あんなアイドルがいるなんて知らなかった……! 海外でも若い子に大人気なんだってェ♪」(白鳥藍良)「『MELLOW DEAR US』のメンバーの大半とは顔見知りですが、久遠舞珠という人物のことは知りませんね。」(HiMERU)
これらの反応から、舞珠はMDUがある程度認知され、物語が出来上がった後に加わった「途中加入メンバー」であることがわかります。

待ち受けているのは「茨の道」
「3人のMDU」の世界観を愛するファンにとって、突然現れた「サーカス出身の謎の男」は排除すべき異物でしかありません。 「世界観が壊れる」「誰こいつ?」「3人の邪魔をしないで」 猛烈なバッシングと排斥運動が巻き起こる中、彼が自分の居場所を守るために選んだ手段。それが禁断の「DM開放」だったのではないでしょうか。
「3人のMDU」の世界観を愛するファンにとって、突然現れた「サーカス出身の謎の男」は排除すべき異物でしかありません。 「世界観が壊れる」「誰こいつ?」「3人の邪魔をしないで」 猛烈なバッシングと排斥運動が巻き起こる中、彼が自分の居場所を守るために選んだ手段。それが禁断の「DM開放」だったのではないでしょうか。
円果望見の証言:「自主的な共同体」
この行動について、メンバーである円果望見はこう証言しています。
この行動について、メンバーである円果望見はこう証言しています。
「噂によると、ファンを囲い・・・いや自主的に共同体を築いているようだが。それが吉と出るか凶と出るか、己の知ったことではないな。」
この発言は決定的です。 望見は「囲い込み」と言いかけて、「自主的な共同体」と言い直しました。 つまり、舞珠が行っているのは単なるファンとの火遊びや、いわゆる「枕営業」のような低俗なものではありません。
自分を擁護し、自分の代わりに戦ってくれる「運命共同体(盾)」を作り上げる、したたかな派閥作りなのです。
自分を擁護し、自分の代わりに戦ってくれる「運命共同体(盾)」を作り上げる、したたかな派閥作りなのです。
憧れのアイドルと個人的に繋がれる。それだけでもファンにとっては天にも昇る喜びです。 その高揚感の中で、舞珠から直接「僕の味方は君だけだよ」と囁かれたらどうなるか。 ファンは「彼には私しかいない」「私たちが彼を守らなければ」という強烈な使命感(依存)に駆られ、命に変えても彼を守ろうとする狂信者へと変貌します。
ジュイスが評した通り、彼は「集団生活の肝をばっちり把握している」男です。 サーカスで培った人心掌握術を使い、作り出した「共同体」のメンタル管理や統率も、完璧に行っているのでしょう。
だからこそ、潔癖な望見でさえも手を出さずに静観し(「吉と出るか凶と出るか」という言葉は、「今のバッシングを乗り切るには、それも一つの手だが、リスクも大きい」という冷徹な分析に見えます)、リーダーのジュイスも黙認しているのかもしれません。
それはアイドルとしてタブーの領域(劇薬)ですが、凄まじい逆風の中で彼が生き残るためには、そうするしかなかったのです。
それはアイドルとしてタブーの領域(劇薬)ですが、凄まじい逆風の中で彼が生き残るためには、そうするしかなかったのです。

「サーカス出身」という最強の武器(カード)
彼が語る「サーカス団出身」という経歴。これはおそらく事実でしょう。 しかし、彼の真の恐ろしさは、その事実を「『共同体』を組織し、MDUのバランサー(架け橋)としての役割を全うするための『武器』」として利用し尽くしている点にあります。
普通のアイドルなら、バッシングに怯えて潰れてしまうでしょう。 しかし彼は、チケットを売り歩き、見知らぬ土地で客を掴まなければ野垂れ死ぬ「サーカス」の出身です。彼にとって、現在の逆境は「悲劇」ではなく、「攻略すべき過酷な市場」に過ぎないのかもしれません。
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常識のなさの免罪符:
「特殊な環境育ちだから」という言い訳は、DMという禁じ手を「無知ゆえの過ち」に見せかけ、運営や世間の追及をかわすための煙幕になります。
「直接チケットを売って歩くのが普通でしょ?」 -
対チトセの管理術:
メンバーに対しても同様です。「僕も失敗ばかりだった」と弱みを見せ、「自分がだめで嫌になるよね?」と囁く。「共感」というカードを切ってチトセの自殺を止めます。これも組織を内側から崩壊させないための、重要なメンテナンスです。
「共感要素を出してみる作戦は大成功。」 -
汚れ役の正当化:
「おじさんに任せてよ」。その言葉の裏には、「泥をかぶる覚悟も、人を操る技術も、ずっと芸に身を置いてきた僕と君たちとでは年季が違うんだよ」という、強烈な自負が見え隠れします。
彼は「可哀想なサーカスの子」ではありません。 自分の歪な出自さえも、MDUという曲者揃いのグループを維持し、自分自身が生き残るための「機能」として使いこなしています。
リーダーの小鹿ジュイスが彼を「喉から手が出るほど欲しかった人材」と評するのは、この「卓越したバランサー」としての価値を見抜いているからでしょう。

【対比】円果望見との決裂:なぜ「殺したい」のか
ここで、円果望見との関係性が決定的な意味を持ちます。 望見はジュイスと仲の良い舞珠を常に目の敵にし、シェイクスピアの悲劇(『オセロ』『ハムレット』)を引用して彼を否定することすらあります。 一方、相関図から窺えるように、舞珠自身も望見について、「ご機嫌は取るが人として嫌い」という感情を持っています。
なぜこの二人は、ここまで反りが合わないのか。 それは、二人の「プロ意識(在り方)」が水と油だからに他なりません。
「隠す」VS「曝け出す」
まず、スタンスが真逆です。 望見の在り方は、ルールブックで武装し、他者を拒絶することで己の尊厳を守り抜く「隠す」美学。 対して舞珠の在り方は、プライバシーさえも切り売りし、他者に媚びることで個を殺す「曝け出す」生存戦略です。
まず、スタンスが真逆です。 望見の在り方は、ルールブックで武装し、他者を拒絶することで己の尊厳を守り抜く「隠す」美学。 対して舞珠の在り方は、プライバシーさえも切り売りし、他者に媚びることで個を殺す「曝け出す」生存戦略です。
「支配」VS「扇動」
ファンへのアプローチも決定的に異なります。 望見の方法は「支配と崇拝」。女王として君臨し、ファンを跪かせることで自らの価値を高めます。 対して舞珠の方法は「扇動と依存」。DMで「僕の味方は君だけ」と依存させ、泥沼の代理戦争(親衛隊活動)をさせることで自らの保身を図ります。
ファンへのアプローチも決定的に異なります。 望見の方法は「支配と崇拝」。女王として君臨し、ファンを跪かせることで自らの価値を高めます。 対して舞珠の方法は「扇動と依存」。DMで「僕の味方は君だけ」と依存させ、泥沼の代理戦争(親衛隊活動)をさせることで自らの保身を図ります。
「本物」VS「虚構」
そして何より、存在の核が異なります。 望見は中身までぎっしりと詰まった、実体のある「悲劇」を背負う「本物(ガナッシュ)」。 舞珠は甘い殻の中は空っぽの泡でしかない、実体のない「喜劇」を演じる「虚構(フルールボラー)」。
そして何より、存在の核が異なります。 望見は中身までぎっしりと詰まった、実体のある「悲劇」を背負う「本物(ガナッシュ)」。 舞珠は甘い殻の中は空っぽの泡でしかない、実体のない「喜劇」を演じる「虚構(フルールボラー)」。

互いに軽蔑し合う「共犯者」
望見にとって、自分の聖域(MDU)に土足で入り込み、安っぽい手口でファンを扇動する舞珠は「品位のかけらもない存在」であり、生理的な嫌悪の対象です。
望見にとって、自分の聖域(MDU)に土足で入り込み、安っぽい手口でファンを扇動する舞珠は「品位のかけらもない存在」であり、生理的な嫌悪の対象です。
一方、舞珠はどう思っているのでしょうか。 彼は表面上、望見を「怒ってる望見ちゃんも可愛いね!」等と言うだけで、特別な感情を抱いているような様子はありません。
しかし、その笑顔の奥にあるのは「人としては嫌い」という冷めた感情でしょう。 彼は望見を「対等な人間」として見ているのではなく、「MDUというサーカスを成立させるために、手懐けておくべき猛獣(タレント)」として処理しているのです。
しかし、その笑顔の奥にあるのは「人としては嫌い」という冷めた感情でしょう。 彼は望見を「対等な人間」として見ているのではなく、「MDUというサーカスを成立させるために、手懐けておくべき猛獣(タレント)」として処理しているのです。
彼が望見を「猫ちゃん」と形容するのも、決して「可愛いから」ではありません。 時に過呼吸になりながらも、稼ぐことより自らの美学を優先する望見。 泥水をすすって生きてきた舞珠にとって、その姿は「自分では狩りもせず、用意された餌を当たり前のように食べ、気に入らなければ爪を立てる、傲慢で役立たずな愛玩動物」に過ぎないからです。
そんな強烈な皮肉を込めているからこそ、彼は表面上だけ優しく、内心では冷めきっていられるのでしょう。 互いに腹の底で軽蔑し合いながら、ステージの上では完璧な「アイドルグループ」を演じる。 この歪な関係こそが、MDUという組織の危うさを象徴しています。

「人間」になった影片みか、「人形」のままの久遠舞珠
「……影片が久遠とやらの姿を見て、不安そうな顔をしていたね。知り合いなのかと影片に聞いても話をはぐらかされたし、気がかりなのだよ」(斎宮宗)
Valkyrieの影片みかが舞珠を見て怯えていたという証言。 これも、舞珠の「虚構性」を裏付けているのではないでしょうか。
かつて「人形」だったみかは、創造主(斎宮宗)の愛と厳しさによって人間性を獲得し、自らの意志で芸術を表現するアイドルになりました。
対して舞珠は、MDUという組織の論理で動く「機能(人形)」のままでいます。 ESが「個の解放」を目指す光なら、MDUは目的のために「個を殺す」ことを強いる影。 みかは、舞珠の笑顔の裏に、かつての自分が陥りかけた「自我を捨て、機能として消費されることに喜び(全能感)を感じてしまっている、壊れた人形の姿」を見てしまい、本能的な恐怖を覚えたのかもしれません。
おわりに:全能感の果てに待つ「6回目の死」
「『MELLOW DEAR US』ってさあ……やっぱ舞珠がいないと始まらないよね!」
現在、MDUは絶好調に見えます。 個性的なメンバーの仲を取り持ち、古参ファンの反発も強固な親衛隊という裏技で封じ込めた。 望見が「吉と出るか凶と出るか」と静観する中で、舞珠は今、かつてない「全能感」に包まれているはずです。 「ほら、僕のやり方で上手くいった」「僕が全部コントロールできている」。
しかし、思い出してください。彼自身が語った残酷な法則を。 「事故は、絶対に事故らないと思っている時、全能感に満ち溢れている時に起きる」
彼が自信満々で築き上げた「運命共同体」。 その関係性は、ガラス細工のように脆いものです。 たった一通の誤爆、あるいは「自分だけが特別」と信じ込まされたファン同士の嫉妬によるリーク。 その小さな亀裂が入った瞬間、彼が誇った「共同体」は崩壊し、一斉に彼に牙を剥くでしょう。
「綱渡りはさ、渡りきるからこそ喝采を浴びられるんだ。」
彼が今、渡りきろうとしているロープ。 その下には、安全ネットはありません。 次に彼が落ちた時、それは物理的な怪我では済まない、アイドルとしての「6回目の死(社会的な抹殺)」となるのかもしれません。 そして、その時初めて、空っぽだった彼の心に「本物の絶望」という感情が宿るのだとしたら――。 私たちはその悲劇の結末まで、彼から目を離すことができないのです。
