
はじめに
前回の記事では、「MELLOW DEAR US」(以下、MDU)というグループを、「社会の『正しさ』からはみ出した『異端』たちが集まる箱舟」であると定義し、リーダー・小鹿ジュイスの狂気的な「愛」について考察しました。 (※前回の記事リンク「『不味い』を愛に変える狂気。小鹿ジュイスとMDU考察」)
今回は、その箱舟に乗るメンバーの一人、円果望見(まどか のぞみ)について深掘りします。
一見すると、彼は「女王様」として他者の上に立ち、支配することに執着しているように見えます。 しかし、ジュイスを盲信し、自作の「ルールブック」に縛られては自滅するその姿からは、彼が求めているのは『支配』ではなく、自身の輪郭を保つための『依存先(救済)』なのではないか……という危うさが垣間見えます。

本記事では、望見を形作る「支配欲」や「ルールブック」がなぜ生まれたのか。 そして、最初に彼に手を差し伸べた「甘楽チトセ」を経て、絶対的な王である「小鹿ジュイス」に出会う中で、彼の魂がどう変遷していったのか。
あくまで推測の域を出ませんが、彼の人生を時系列順に紐解きながら、考察していきます。
あくまで推測の域を出ませんが、彼の人生を時系列順に紐解きながら、考察していきます。
※100%妄想です!各自、自衛の程よろしくおねがいします。
【ATTENTION】
ネタバレについて: 本記事は『あんさんぶるスターズ!!』および小冊子『Chocolat Assort』の核心に触れるネタバレを含みます。
独自解釈について: 作中の描写をもとにした筆者の独自考察です。少し強い表現(死ぬ、殺す等)を用いることがありますが、キャラクターの多面的な魅力を掘り下げることを目的としています。
前提知識: 小冊子『Chocolat Assort』の内容を把握しているとより深くお楽しみいただけます。 電子版はこちら

【Subject:円果望見】
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身長/体重: 176cm / 59kg
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血液型: B型
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年齢: 20歳(ES2年目 4/1時点)
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趣味: ネイル、解剖・解体
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特技: 相手の気分がわかる
【表の顔:MDUの女王様】
挑発的で美しいビジュアルと、高飛車な態度。 その華やかさと、時に周囲を振り回すエキセントリックな振る舞いから、ファンには「女王様」と呼ばれ愛されるMDUのクイーンです。 メインラッパーでありビジュアル担当の彼に、女王様の如き振る舞いを期待し、「踏まれたい」等の倒錯的な願望を向ける者は数知れません。
挑発的で美しいビジュアルと、高飛車な態度。 その華やかさと、時に周囲を振り回すエキセントリックな振る舞いから、ファンには「女王様」と呼ばれ愛されるMDUのクイーンです。 メインラッパーでありビジュアル担当の彼に、女王様の如き振る舞いを期待し、「踏まれたい」等の倒錯的な願望を向ける者は数知れません。
【裏の顔:迷子のお姫様】
しかし、その実態は――。 「女王」という名の皮を被りながら、裏では自身が心酔するジュイスの足元に寝転び、恍惚と見上げるあられもない姿。 彼が社会生活を送れているのは、自作の『ルールブック』に沿って「人間らしい反応」を機械的に出力しているに過ぎません。 ひとたび想定外の事態が起きれば過呼吸で崩れ落ち、愛するジュイスとの時間を邪魔する者には、暗く冷たい瞳で迷わず刃物を向ける。 「支配」にこだわる攻撃性と、今にも壊れそうな脆さが同居する、なんとも危うい存在です。
しかし、その実態は――。 「女王」という名の皮を被りながら、裏では自身が心酔するジュイスの足元に寝転び、恍惚と見上げるあられもない姿。 彼が社会生活を送れているのは、自作の『ルールブック』に沿って「人間らしい反応」を機械的に出力しているに過ぎません。 ひとたび想定外の事態が起きれば過呼吸で崩れ落ち、愛するジュイスとの時間を邪魔する者には、暗く冷たい瞳で迷わず刃物を向ける。 「支配」にこだわる攻撃性と、今にも壊れそうな脆さが同居する、なんとも危うい存在です。

「支配層」の呪い:助けを求める言葉を持たない
なぜ、望見は自らで「ルールブック」を作ることでしか自分を守れない(孤立している)のか。 全ての始まりは、彼の「出自」にあると考えられます。
「あぁ、どうして円果のお家のかたがアイドルになっているのでしょう……! 望見さんは一族のなかでも特別だと家族から聞かされていましたので……。喋るどころか、視界に入るのも許されない気がしますぅうう……!」(礼瀬マヨイ)
本人も相当怪しい出自のマヨイがここまで畏怖する「円果家」。それは単なる名家ではなく、何か「触れてはいけない領域」に関わる一族であることを匂わせます。 望見はその中でも「特別」な存在、つまり一族の期待(あるいは呪い)を一身に背負った「本流の後継者」だった可能性があります。
生まれながらに「支配階級の異形(特別)」として育てられた彼にとって、「支配すること」が自分の存在意義の全て。 彼はずっと、相手から利を得るためには、何か対価を払う等価交換か、あるいは相手を恐怖で支配し隷属させる方法しか知らなかったのではないでしょうか。 だからこそ、彼は窮地に陥っても「助けて」と言えない。 脆弱性を孕んだルールで自分を縛り、自滅し過呼吸になってさえも、虚勢を張ることでしか自分を守れないのです。
「正義」の革命に敗北した少年
「我輩が海外にいたころに望見くんと知り合ってのう。夢ノ咲学院の姉妹校の生徒だったんじゃが……『例の事件』がきっかけで話したころとは、ずいぶん雰囲気が変わったようじゃな?」(朔間零)
かつて夢ノ咲の姉妹校にいた彼を変えた、「例の事件」。 小冊子の描写から、中学時代の彼は「いじめられっ子を演じてクラスを裏から支配する」ような、冷徹な支配者であったことが分かっています。
では、高校時代に何が起きたのか? ここからは憶測になりますが、追憶編にて、革命と称しアイドル(五奇人)を討伐した天祥院英智に対して、朔間零は、「全世界にある夢ノ咲の姉妹校で次々に事件が起きたのは、お前の仕込みか?」と問いかけているシーンがあります。 ここで言う「事件」が、頂点に立つ天才アイドルを、学園共通の敵と見做し糾弾することだとすれば、一つの残酷なシナリオが浮かび上がってきます。
かつて支配者として君臨していた望見は、その煽りを受け、「革命」によってその座を追われたのではないでしょうか。 計算ずくの恐怖による支配が、「多数派の正義」や「熱狂」という不合理なパワーの前に敗北した時。彼のアイデンティティは粉砕され、自我が崩壊するほどの恐怖を味わった結果、人格を大きく捻じ曲げてしまったのかもしれません。
「ルールブック」という名の人工呼吸器
自我を粉砕された彼がすがりついたもの。それが、生活のすべてを縛る「ルール」です。
▼ルールその三【毎時四十一分に自分の鏡像を見る】。 ……異変はありませんね
一見すると滑稽にも見えるこの行動。しかし、プロフィールにある「人としての体裁を保つために」という一文が、事態の深刻さを物語っています。 逆に言えば、「ルールがなければ、自分は『人』の形を保てない(壊れてしまう)」と、彼は本能的に理解しているのです。
彼にとって世界は、混沌としていて、予測不能な恐怖に満ちている。 だからこそ、「絶対的な秩序」を自ら作り出し、それに縋ることでしか、この世界で呼吸ができない。 いわば、このルールブックは、望見にとっての「人工呼吸器」そのものなのです。

チトセとの蜜月:すれ違う「救済」と「放棄」
「後から本人に聞いてみたら、周りからそういうふうに同情されるためにわざわざ水溜まりで転がり回って泥まみれになったって話だったけど。」
街角で、わざとストリートチルドレンのような格好をして、「実験」をしていた望見。 彼がその「実験」において何を検証していたのか。それは、革命で「正義」に断罪された彼による、世界への「最後の賭け」だったのではないでしょうか。
通行人の同情を誘い、その薄っぺらな優越感を嘲笑うこと。 そして何より、プライドの塊である自分が泥水を啜る姿を晒すことで、「自分にはもう価値がない」と物理的に証明するための、歪んだ自傷行為。 彼は心のどこかで、誰にも拾われることなく野垂れ死に、「ほら、やっぱりこの世界は残酷で救いようがない」と、絶望の中で安心したかったのかもしれません。
しかし――唯一、その実験結果を裏切った相手こそが、甘楽チトセでした。
彼は「救世主」に見えた
誰もが見ないふりをする「汚れた無価値の存在」を、躊躇なく拾い上げたチトセ。 それは望見にとって、泥水にまみれた自分を唯一肯定し、絶望的な確率の「賭け」に勝利させてくれた「奇跡」そのものでした。 自らを窮地に追い込むような試し行動の果てに、唐突に差し伸べられた慈愛の手。そこに彼が「救世主」の姿を幻視し、笑顔を見せ、その手を取ってしまったのは、あまりにも必然だったと言えるでしょう。
しかし、その切実な祈りは、共同生活という現実の中で、静かに、そして残酷に踏みにじられます。
誰もが見ないふりをする「汚れた無価値の存在」を、躊躇なく拾い上げたチトセ。 それは望見にとって、泥水にまみれた自分を唯一肯定し、絶望的な確率の「賭け」に勝利させてくれた「奇跡」そのものでした。 自らを窮地に追い込むような試し行動の果てに、唐突に差し伸べられた慈愛の手。そこに彼が「救世主」の姿を幻視し、笑顔を見せ、その手を取ってしまったのは、あまりにも必然だったと言えるでしょう。
しかし、その切実な祈りは、共同生活という現実の中で、静かに、そして残酷に踏みにじられます。

「空っぽ」の神様
一緒に過ごすうちに、望見は気づいてしまったのです。 チトセは慈愛に満ちた聖母でもなければ、導いてくれる指導者でもない。 社会性も、野心も、確固たる自我すら持たない、ただの「無垢で空っぽな存在」であることに。
一緒に過ごすうちに、望見は気づいてしまったのです。 チトセは慈愛に満ちた聖母でもなければ、導いてくれる指導者でもない。 社会性も、野心も、確固たる自我すら持たない、ただの「無垢で空っぽな存在」であることに。
望見の得意な「恐怖による支配」は、常識(大人の才能)を持たないチトセには通用しません。かといって、チトセが望見を導いてくれることもない。 「この男は、己を救えない」 そう悟った瞬間、望見の中でチトセは「崇拝対象」から「興味のない対象」へと転落したのではないでしょうか。
「捨てた」のか、「手放された」のか
結果として二人の同居は解消されます。 望見のプライドからすれば、「救世主になり得なかった無能な男を、『己が』見限って捨てた」という認識でしょう。だからこそ、今も彼は「興味がない」と冷淡な態度を貫くことができます。
結果として二人の同居は解消されます。 望見のプライドからすれば、「救世主になり得なかった無能な男を、『己が』見限って捨てた」という認識でしょう。だからこそ、今も彼は「興味がない」と冷淡な態度を貫くことができます。
しかし、チトセの認識はもっと残酷です。
「要するに、とても飼育しやすかった」
「限界が来てバイバイしちゃった」
これは、望見が去ったことを「自分の責任(限界)」としつつも、その実は「面倒を見きれなくなって飼育放棄(ネグレクト)した」に過ぎません。
望見は「自分で選んで離れた」つもりでいる。 しかし実際は、チトセという子供が「飽きて手を離した」から、関係が終わっただけなのかもしれません。
望見は「自分で選んで離れた」つもりでいる。 しかし実際は、チトセという子供が「飽きて手を離した」から、関係が終わっただけなのかもしれません。
望見は、チトセを捨てたつもりでいるためか、時々は確定申告等の世話をしてあげている(己がやらないとチトセは社会的に死んでしまう。これは慈悲だ。)
一方でチトセは、弱りきった望見の姿を知っている。「ああ見えて、かわいいところもあるんだよ?」(だって、僕は飼い主だったんだから。)
一方でチトセは、弱りきった望見の姿を知っている。「ああ見えて、かわいいところもあるんだよ?」(だって、僕は飼い主だったんだから。)
この「捨てたつもりの元ペット」と「手放した元飼い主」という認識のズレが、今のMDUにおける二人の、決して混ざり合わない歪な距離感を生んでいるのです。

「空気」のような共犯関係
だからこそ現在、望見はチトセに対して「もう興味がなくなった」「空気のような存在」だと言い放ちます。 おそらく望見自身は、この言葉を「そこにいてもいなくても変わらない、取るに足らない存在」という、最大限の皮肉と絶縁のつもりで使っているのでしょう。
だからこそ現在、望見はチトセに対して「もう興味がなくなった」「空気のような存在」だと言い放ちます。 おそらく望見自身は、この言葉を「そこにいてもいなくても変わらない、取るに足らない存在」という、最大限の皮肉と絶縁のつもりで使っているのでしょう。
しかし、彼はおそらく気づいていません。その言葉選びが、自身の抱える矛盾をあまりにも残酷に暴いてしまっていることに。
彼がルールを破り、過呼吸で苦しむ時に最も渇望するものは何か?
それは他ならぬ「空気」です。 望見の支配が効かない、そして自分を支配もしない「空っぽの相手」だからこそ、彼は「支配者の仮面」を外し、酸素を吸うように本音で接することができるのではないでしょうか。
「空気のような存在」とは、「どうでもいい存在」ではなく、「彼がいなければ息もできない、唯一素直になれる場所」という皮肉な告白なのかもしれません。
それは他ならぬ「空気」です。 望見の支配が効かない、そして自分を支配もしない「空っぽの相手」だからこそ、彼は「支配者の仮面」を外し、酸素を吸うように本音で接することができるのではないでしょうか。
「空気のような存在」とは、「どうでもいい存在」ではなく、「彼がいなければ息もできない、唯一素直になれる場所」という皮肉な告白なのかもしれません。

ジュイスへの祈り:溺れる「絶対」と「甘美な共犯」
こうしてチトセへの興味を失った(つもりでいる)望見。 しかし、読者である私たちは、チトセの内心にある一つの「棘」を知ることになります。
チトセのマウント:「あの子の『はじめて』」は僕だった
「実はね、あの子をいちばん最初に見つけて、拾ったのはぼくだったんだ。だから、本当に、あの、ごめんね?」
望見にとってチトセは、もう「価値がない」過去の男です。 しかしチトセは、悪気なく「最初の救世主(飼い主)」としての座を内心で主張します。
「あの子が人生で初めて膝を屈し、縋り付いた相手は僕。」
「君(ジュイス)は、二番目。」
「あの子が人生で初めて膝を屈し、縋り付いた相手は僕。」
「君(ジュイス)は、二番目。」
望見はこの言葉を知る由もありません。 しかし、この一方的なマウントは、チトセと望見の関係が単なる「飼い主とペット」でしかなかったという残酷な事実を物語っています。
望見が本能的に感じ取った「チトセへの失望」の正体はこれでしょう。 最初の救世主は、自分を導く神ではなかった。「最初の救いは、間違いだった」 その空虚な穴を埋めるために、彼は切実に求めたのではないでしょうか。
中途半端な優しさや、気まぐれな飼育ではなく、今度こそ自分を正しく支配し、導いてくれる「本物」を。 それが、小鹿ジュイスでした。
中途半端な優しさや、気まぐれな飼育ではなく、今度こそ自分を正しく支配し、導いてくれる「本物」を。 それが、小鹿ジュイスでした。

【対比】「恐怖」で縛る支配者、「愛」で溶かす怪物
望見がなぜ、これほどまでにリーダー・小鹿ジュイスに心酔し、同時に手に入れたいほど強い執着を見せるのか。 それは、ジュイスが「望見がかつて失敗した『支配』を、真逆の方法で成功させている存在」だからではないでしょうか。
望見がなぜ、これほどまでにリーダー・小鹿ジュイスに心酔し、同時に手に入れたいほど強い執着を見せるのか。 それは、ジュイスが「望見がかつて失敗した『支配』を、真逆の方法で成功させている存在」だからではないでしょうか。
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望見の支配:「解剖」と「ルール」
望見の手法は、相手の弱みを握り、恐怖で縛り管理する「冷徹な支配」です。 これは「論理」としては正しいですが、人の心(感情)という不確定要素を排除しようとするため、熱狂を生みません。かつて彼が天祥院英智の「革命」に敗北した原因もおそらくここにあるでしょう。 -
ジュイスの支配:「共犯」と「愛」
対するジュイスの手法は、相手の「負の感情(不味い部分)」ごと飲み込み、「一緒に夢を見よう」と囁く「甘美な共犯関係」です。 彼はルールで縛る代わりに、愛(嘘)を与えて相手を自発的に跪かせます。
「己の理論(ルール)では世界を動かせなかった。でも、この男の『愛』という不合理な魔法なら、世界をひっくり返せるかもしれない」 望見にとってジュイスは、自分にない「解」を持つ完全無欠の存在。 だからこそ、彼は自分のルールブックを一旦脇に置き、この王の実験に付き従っているのではないでしょうか。
おわりに:書き換える「悲劇」と「物語の支配」
こうして見ると、円果望見というアイドルの歪で愛おしい本質が浮かび上がってきます。
【表の顔】
高圧的で気まぐれ、誰も寄せ付けない気高い「女王様」、あるいはセレブの家の気難しい猫。
【裏の顔】
制御不能な心を抱え、ルールブックなしでは息もできない。世界から自分を救ってくれる何者かを待ち続ける、迷えるお姫様。
高圧的で気まぐれ、誰も寄せ付けない気高い「女王様」、あるいはセレブの家の気難しい猫。
【裏の顔】
制御不能な心を抱え、ルールブックなしでは息もできない。世界から自分を救ってくれる何者かを待ち続ける、迷えるお姫様。
彼が「支配」や「ルール」にこだわるのは、単に他者を傷つけるためではありません。 それは、傷つくことを恐れるあまり先制攻撃をしている防衛本能であり、本当は誰よりも「正しく支配(管理)され、導かれることによる救済」を求めているのではないでしょうか。
しかし、MDUという箱舟に乗った今、彼の中で何かが変わり始めています。 それを象徴するのが、メンバーの久遠舞珠に向けた、あまりにも不穏で、切実な言葉です。
「避けがたき不幸も、これを殺せばやがて笑うことができる」
「死ぬべきか、殺すべきかそれが問題です」
この二つのセリフは、それぞれシェイクスピアの二大悲劇『オセロ』と『ハムレット』からの引用だと思われます。
一見すると、ジュイスと親しい舞珠への嫉妬に狂った発言に見えます。 しかし、望見は舞珠を「世間から好まれる形に歪められた存在」と言い表しています。 『オセロ』が「愛する者を殺す悲劇」であるならば、望見は舞珠の中に、「かつて定義づけられた「正義」のために押し潰され、歪められた自分自身の不幸」を見ているのかもしれません。
かつての彼は、強大な理不尽(革命)の前に、「死ぬ(心が壊れる)」ことしかできませんでした。 しかし今はジュイスという新たな救世主(これからどうなるかはわかりませんが)、社会からはじき出された「異端」たちと共に世界を席巻するアイドルとして活躍しています。これまで自分を押し潰してきた「正義(象徴されるべき正しきアイドル=ES?)」を、逆に「殺す(転覆させる)」ことができるかもしれないほどに。

「死ぬべきか、殺すべきか」
彼がハムレットの有名な問い(To be or not to be「生きるべきか、死ぬべきか」)をこう書き換えたのは、彼の中で「世界に翻弄される『悲劇のヒロイン』」であることをやめ、「不幸という結末を書き換えて笑う『物語の支配者』」へと、魂の在り方がシフトした証なのかもしれません。
彼がハムレットの有名な問い(To be or not to be「生きるべきか、死ぬべきか」)をこう書き換えたのは、彼の中で「世界に翻弄される『悲劇のヒロイン』」であることをやめ、「不幸という結末を書き換えて笑う『物語の支配者』」へと、魂の在り方がシフトした証なのかもしれません。
MDUという箱舟で、絶対王者の元についた望見。
その手には今、最強の「武器」が握られています。 いつかルールブックを手放し、素顔のままで笑える未来を勝ち取るために。 私たちはその行く末を、(できれば毎時41分に鏡を見ながら)見守る必要があります。
その手には今、最強の「武器」が握られています。 いつかルールブックを手放し、素顔のままで笑える未来を勝ち取るために。 私たちはその行く末を、(できれば毎時41分に鏡を見ながら)見守る必要があります。
