【考察】Valkyrie×MDU 衣装に隠された意味

【考察】Valkyrie×MDU 衣装に隠された意味

『天女と木こり』の寓話

​【※お読みいただく前に/Attention】​
本記事では、今回のイベント楽曲および衣装に関する個人の考察を綴っています。 その中で、考察の根拠として​​「旧Valkyrie時代」の過去の出来事(宗となずなの関係性や当時の歴史)​​について触れる記述がございます。
また、民話の残酷な側面に結びつけた仄暗い解釈も含まれますため、そういった内容や過去の重いテーマに触れるのが苦手な方は、恐れ入りますがここでお戻りいただきますようお願いいたします。

視覚に隠された暗号——『天女と木こり』

今回の合同楽曲の衣装を初めて目にした時、言い知れぬ違和感と寒気を覚えました。

これまでのユニット合同楽曲において当たり前だった「共通のデザイン・色違い」という法則は完全に捨て去られ、​​ValkyrieとMDUの衣装はシルエットから色まで、驚くほどの「断絶」​​があったからです。
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着物のような長い袖を風に遊ばせ、神聖な紫と白のグラデーションを纏うValkyrie。

対してMDUの衣装はアースカラー。舞珠のルーツであるサーカスのような衣装でもありますが、首元には獣の毛皮(ファー)があしらわれ、腰や腕には革のベルト、足元は大地を踏みしめるためのブーツ。
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​一方は、空を舞うためのような服。​
​もう一方は、まるで森で生き抜くためのような服。​
この決して交わることのない極端な対比が意味するもの。

二つの衣装の特徴から、アジア圏に広く伝わる哀しくも残酷な民話​​『天女と木こり』​​を想起しました。
以下が、簡単なあらすじです。
​【天女と木こり】​
​猟師に追われていた「鹿」を助けた貧しい木こりは、恩返しとして鹿から「天女を妻にする方法」を教わります。

それは、水浴びをしている天女の『羽衣』を隠し、天へ帰れなくしてしまうこと。​
​鹿の教え通りに羽衣を奪った木こりは、泣く泣く地上に残るしかなかった天女を、無理やり自分の妻にしてしまいます。​
​しかし、この略奪の上に成り立った歪んだ幸福は、長くは続きません。​
​やがて羽衣の在り処を知った(あるいは木こりが油断して見せてしまった)天女は、奪われた本来の姿を取り戻すや否や、木こりを置いて天へと飛び去ってしまいます。​
​あとに残されたのは、二度と手の届かない空を地上から見上げながら、永遠の孤独と絶望の中で生きていく木こりの姿でした。​
ここで、​​MDUのユニットロゴ​​に隠された​​「鹿」​​という暗号が、恐ろしい意味を持ち始めます。
彼らは、ただ天女を引きずり下ろそうとする木こりではありません。
常に完璧なアイドルでいなければ大衆に呑まれてしまうような状態の中、生き延びるために​​気高き天女(Valkyrie)を生贄​​として差し出そうとしている、生き残るため必死にもがく「鹿」でもあるのです。
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民話が突きつける「3つの教訓」

この『天女と木こり』は、単なる不思議なおとぎ話ではありません。
そこには、人間関係の業を突いた3つの残酷な教訓が込められています。
第一に、​​「決して交わらない『異質なもの』への執着の無力さ」​​。
どれほど物理的に縛り付けても、住む世界が違う者の魂までを自分の世界(地上)に染め上げることはできないという真理。
第二に、​​「罪(略奪)の上に築かれた『かりそめの幸福』の破滅」​​。
相手の本来の姿を殺し、自分の都合の良い枠に押し込めて得る関係は、結局のところ「砂上の楼閣」に過ぎません。
第三に、​​「『永遠の喪失』という罰」​​。
物語の結末で天女は空へ帰り、木こりは地上に一人取り残されます。それは、何かに執着した者が最後に味わう、一生消えない孤独です。
​大衆の評価から解き放たれ、独自の芸術で気高く空を舞うValkyrie。​
​そして、「ナイス!」という同調圧力(重力)に縛られながらも、大衆の願いに応える完璧な偶像として君臨するMDU。​
このトーナメントで。MDUが木こりとして、Valkyrieの羽衣(芸術家としての誇り)を奪い、「大衆に消費される不条理なシステム(ナイス!が支配する地上)」へ引きずり下ろそうとしているのだとしたら・・・。
この民話の教訓が絶対である限り、MDUの試みは破綻し、​​彼ら自身が地上で深い傷を負う運命にあります。​
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鮮やかな裏切り——Valkyrieが踏み越えてきた地獄

しかし、今回のストーリーが単なる絶望で終わらない理由が一つだけあります。
それは、Valkyrieがこの民話の通りに地に墜ちることはない——いや、正確に言えば、「かつて​​彼ら自身が、この民話における『木こり』と『天女』両方の絶望を、身をもって経験し、乗り越えてきた存在​​だから」です。
かつての斎宮宗は、自らの理想とする完璧な芸術(天界)を創り上げるため、仁兎なずなと影片みかを「完璧な人形」として自らの世界に縛り付けました。
他者を枠に嵌めようとした「執着」。
仮初めの完璧な世界が崩れ去る「砂上の楼閣」。
そして、最も美しい人形(なずな)が意志を持って飛び去ってしまった「永遠の喪失」。
Valkyrieは、最初から完全無欠の天女だったわけではありません。​
​「他者を縛り付ける木こりの罪」も、「地に堕ちる天女の絶望」も、すべて自分たちの過去の痛みの歴史として経験し、その上で泥の中から再び独自の翼を創り上げて、天へ舞い戻った​​存在​なのです。
誰かを縛り付ける関係がいかに虚しく崩れ去るかを、彼らは誰よりも知っています。

泥から飛び立った天女の「慈愛」

そして何より、影片みかという存在が、この残酷な民話を根底から覆していきます。
民話の天女は、羽衣を取り戻すと地上(木こり)を捨てて逃げ帰ります。
しかし、みかは逃げません。
かつて革命やfineの前に倒れながらも、そこから這い上がってきたみかは、Valkyrieは、地上の痛みを知っています。
おれらには、おれらにしかできへんことがある。
おれら、『Valkyrie』は負けたことがある。
あん時は悔しかったし、今でも時々思い出すけど
そのときのつらい気持ちは他のアイドルよりも知っとるはずやで。
(メガスフィア編第1部第5章)(一部省略)
天へ逃げるのではなく、自ら地上の泥の中へ降り立ち、真っ向からぶつかり合う。
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​「見せつけてやる、忘れられへんように」​
爛々と目を輝かせ、訴えかけるその姿は、決して木こりを突き放すためのものではありません。
相手の悲しみごとすべてを圧倒的な芸術の光で焼き尽くし、助けようとする、みかという強靭な天女の「慈愛」なのです。
交わらない二つの衣装。悲しいすれ違い。それでもなお、泥の中から世界を照らそうとする芸術の光。
このトーナメント戦は、ただの勝敗を越えた、とんでもない物語になりそうな予感がします・・・!