
はじめに——Xで見かけた、二つの言葉
いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。
『Stranger's Sun』のMVで、これまでの法則を無視した全く異なる衣装姿が公開されてから、X(旧Twitter)などのSNSを眺めていると、繰り返し目にする二つの表現がありました。
「Valkyrieは司祭みたい」 「MELLOW DEAR US(MDU)は中世ヨーロッパの貴族みたい」

一人や二人ではありません。たくさんの方が、同じ直感を抱いていました。
私も初見では、全くもって同感でした。
私も初見では、全くもって同感でした。
ただ、そこでどうしても引っかかってしまったのが、その二つの言葉が並んでいることです。
司祭と、貴族。神に仕える者と、世俗の頂点にいる者。
同じステージの左右に、そんな対極の二つが立っている。
司祭と、貴族。神に仕える者と、世俗の頂点にいる者。
同じステージの左右に、そんな対極の二つが立っている。
結論から言うと、Valkyrieは間違いなく司祭の服を着ています。
仔細な特徴を紐解いていくと、中世の典礼服のそれと重なる部分が多いからです。
仔細な特徴を紐解いていくと、中世の典礼服のそれと重なる部分が多いからです。
しかし、MDUは、「中世の貴族」とは違った特徴をもっていました。 彼らが着ているのは、「16世紀、ルネサンス期の宮廷服」です。中世からは、およそ三百年もあとの様式になります。

……どちらも同じような昔のヨーロッパ貴族の服でしょ?という指摘が聞こえてきそうですが、今回はこの「三百年の時のズレ」こそが、この記事で紐解きたい最大のテーマです。
なぜ同じステージの上に、三百年もの隔たりがあるのか。
その意味を追っていくと、やがて彼らの対立の「結末」すらも暗示するような、数百年越しの歴史のドラマに行き着くことになりました。
その意味を追っていくと、やがて彼らの対立の「結末」すらも暗示するような、数百年越しの歴史のドラマに行き着くことになりました。
ATTENTION
服飾史・美術史の記述は調べた上で書いていますが、キャラクターへの当てはめや意味の読み取りは、すべて当ブログの幻覚です。
公式にそう設計されているかは一切不明です。
その上でお付き合いいただければ幸いです。
それでは、それぞれの衣装の特徴を整理していきましょう。
Valkyrieが纏っているもの——中世の典礼服
まず、Valkyrie側の衣装と、その特徴について細かく見ていきます。
広い袖と、縦に走る二本の帯
あの衣装で最初に目を引くのは、肩から水平に広がる大きな袖と、身体の中心を縦に走る装飾帯です。 この二つの特徴は、ある一着の服で完全に説明がつきます。「ダルマティカ」です。
ダルマティカとは、広い袖とゆったりした身頃を持つT字型の衣。4世紀に助祭の制服として定められ、現在もキリスト教の祭服として使われています。身頃には、クラヴィと呼ばれる縦の二本のラインが入るのが特徴です。
【訂正とアップデート】 日本神話編と『天女と木こり』の記事で、私はあの袖を二度「和装のもの」として読みました。どちらも誤りでした。ダルマティカはまさに水平に広がる袖を持つ、西洋の祭服です。私の側に、西洋服飾の語彙が足りていませんでした……。

白と、紫と、金。それぞれの意味
次に、色使いを見てみます。カトリックの典礼色には、それぞれ決まった意味があります。
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白——神聖さと喜び。
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紫——贖罪と準備。
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金——祝祭日に典礼色の代わりに用いることができる特別な色。天の栄光、神の力を象徴する。
Valkyrieの衣装を見てみましょう。 白を地に、紫がグラデーションの差し色として入り、金で縁取られています。 神聖さと、贖罪と、天の栄光。
偶然かもしれません。けれど、三色とも典礼で意味を持つ色であり、しかもその三つが揃っている。彼らが着ているものが「神に仕える者の服」だという解釈と、見事に一致します。

垂直に伸びる「ゴシック様式」
そしてもう一つ。あの衣装のシルエットは、床まで届く「縦の線」です。 この垂直に伸びるシルエットは、「ゴシック」の造形です。
ゴシック建築は、12世紀のフランスで生まれました。 「もっと光を、もっと高く天へ」という祈りを形にするため、重厚な石の壁を捨て、見上げるほど圧倒的に高い空間を作り出したのが始まりです。
その垂直性は、単なる装飾ではありません。天上への信仰の象徴です。建物の高さも、ステンドグラスから差し込む光も、すべてが「少しでも天(神)に近づきたい」という宗教的な志向そのものでした。
MDUが纏っているもの——16世紀の宮廷服
では、向かい側に立つMELLOW DEAR USはどうでしょうか。
ジュイス、望見、舞珠、チトセ。一見すると、舞珠のルーツでもあるサーカスの意匠を取り入れつつも、全体としてはノーブルなテイストの衣装であるという印象を受けます。

しかし、細かい部分を見ていくと、共通する語彙がはっきりと浮かび上がってきます。
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毛皮の肩当て——四人とも、面積の大きな毛皮を首元から肩にかけて巻いている。
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膨らませた肩と、段の入った袖——格子状のキルティングに宝石を留めた造形。ふわりと膨らんだパフスリーブ。
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ベルトで締めた胴——身体の線に沿って細いベルトを締めた、ボディコンシャスな仕立て。
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襟と袖のフリル
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胸に斜めに掛けた真珠と金鎖——襟と袖のフリルと同様、華やかさをプラス。
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金枠に色石のカボション(円形にカットし艶を出すカッティングを施したもの)を全身に配置。
これを、16世紀の服飾の記述と突き合わせてみます。
ほどなく、詰め物によって広い肩・厚い胸といった威容を意図的に作り出し、さらにそれを強調するため(場合によってはコルセットを使ってまでして)胴を細めるようになった。——Wikipedia「プールポワン」
袖は肩口を大きく膨らませたり、段を付ける。襟元では、シュミーズの衿が独立したカフスとなり、フレーズ(ラフ)という飾り衿が着用される。上流階級は宝石のボタンと細かい金糸の刺繍で服を飾った。(Wikipedia「西欧の服飾 (16世紀)」)

照合ではなく、ほぼ完全な一致です。
そして、極めつけは首元を華やかに飾る「毛皮」。
ゴシック期以降、貂(テン)などの毛皮の裏付けや縁取りは、貴族の身分と地位を示す象徴でした。
稀少で高価であるがゆえに、身に着けること自体が富と権力の証明になります。
そして、極めつけは首元を華やかに飾る「毛皮」。
ゴシック期以降、貂(テン)などの毛皮の裏付けや縁取りは、貴族の身分と地位を示す象徴でした。
稀少で高価であるがゆえに、身に着けること自体が富と権力の証明になります。
【訂正とアップデート】 『天女と木こり』の記事で、私はこの毛皮を「森で生き抜くための木こりの装備」として読みました。けれど服飾史の視点から見れば、毛皮は森の道具ではなく、宮廷の記号です。
今回は後者の解釈を採ります。
さらにこの時代、各国で「奢侈(しゃし)禁止令」が敷かれていました。身分に応じて着てよい素材・色・装飾が法で厳格に定められていたのです。
つまり彼らの装いは、単に豪華なのではなく、「これを着てよい身分である」という意味でもあります。
つまり彼らの装いは、単に豪華なのではなく、「これを着てよい身分である」という意味でもあります。
MDUが纏っているのは、神聖な中世ではなく、ルネサンスがもたらした「世俗の権力」です。
そして、この服を彼らが着ているという事実もまた、非常に示唆に富んでいます。
アイドルを消費システムとみなし、愛することができないジュイスが皮肉にも「これを着てよい身分である」と誇示する服を纏い、最も豪奢な権力の制服を完璧に着こなしている。
そして、サーカスにルーツを持ち、自らを道化として消費させることも厭わないと歌う舞珠が、詰め物によって「理想の身体を人為的に作り出す(=虚像を纏う)」プールポワンを着ている。
そして、サーカスにルーツを持ち、自らを道化として消費させることも厭わないと歌う舞珠が、詰め物によって「理想の身体を人為的に作り出す(=虚像を纏う)」プールポワンを着ている。
彼らの在り方もまた、16世紀の服飾が持つ「世俗と虚像」のテーマに見事に合致しているのです。
二着を隔てているもの——身体をどう扱うか
ここからが本題です。 二着の最大の違いは、色でも装飾でもありません。「身体の扱い方」です。

ダルマティカ(Valkyrie)は、T字型です。 腕を横に広げた形に布を裁ち、腰も、肩も、胸のラインも全く拾いません。身体がどんな形をしていても、着用後の見た目は同じ服になります。つまり、身体の線を完全に無視する服です。
プールポワン(MDU)は、その逆です。 詰め物を入れて立派に見せたり、肩を膨らませ、ウエストをキュッと締める。これは身体を「見せる」服ですらありません。理想の肉体を人為的に作り出して、「魅せる」ための服です。
なぜ、時代が下るにつれてこのような変化が起きたのか。
答えは、服飾史と地続きの美術史にあります。
答えは、服飾史と地続きの美術史にあります。
中世のヨーロッパでは、キリスト教が肉体的な欲望を否定的にとらえ、神と教会が絶対的な権威を持っていました。ロマネスク期にもゴシック期にも、男女の裸体を表した作品はほとんど存在しません。そもそも人間が、創作の対象ではなかったのです。
それを覆したのが、ルネサンスの人文主義(ヒューマニズム)でした。神中心の世界観に対して、人間そのものの美しさや価値を見いだす——人間の身体は、隠すものから、美しく讃えるべきものへと変わったのです。

神を着るか、人間を着るか。
二着、二組の埋まらない距離は、まさにそこにあります。
二着、二組の埋まらない距離は、まさにそこにあります。
「ゴシック」という言葉の裏側
そしてもう一つ、調べていて思わず手が止まった事実があります。
——「ゴシック」という言葉は、本来『蔑称』でした。
——「ゴシック」という言葉は、本来『蔑称』でした。
15世紀から16世紀にかけて、ルネサンス期の人々が、それ以前の中世の芸術を粗野で野蛮なものとみなして「ゴート風の(=ゴシック)」と呼んだ。
それがそのまま様式名として定着してしまったのです。
それがそのまま様式名として定着してしまったのです。
なぜ彼らは、中世の様式を「野蛮」だと嫌悪したのか。
ルネサンスの人々が愛してやまなかった絶対的な美の基準とは、「計算された数学的な調和」「シンメトリー(均整)の完璧さ」「人間から見て均整のとれた美しさ」でした。
彼らの目には、人間のスケールを無視してひたすらに天へ伸びていくゴシックの垂直性や、余白を埋め尽くす過剰な装飾は、理性を欠いた異形のモンスターのように映ったのです。

……ここで、MDUというユニットの成り立ちを振り返ってみましょう。
彼らMELLOW DEAR USが掲げる理念、そしてグループの在り方は、まさにこの「ルネサンスの美意識」と完全に一致しているのです。
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【計算された数学的な調和】
MDUは、プロデューサーであるナイスが時代の潮流を完璧に読み、緻密な計算の果てに組み上げたグループ。
ナイス自身の本来の趣味は、Ra*bitsのような可愛いらしいものであるにも関わらず、作り上げたのはその対極にあるような存在。 -
【シンメトリー(完璧な均整)の美】
MDUは、全員がエース級のポテンシャルを持つハイパフォーマンス集団です。
さらにチトセに至っては、歌い出しや振り付けが0コンマ数秒遅れたことで自死を考えるほどに自らを追い込む、異常な完璧主義の気質も持っています。
彼らのステージには、常に一寸の狂いもない均整の取れた美しさが求められ、その完成度の高さはESのアイドルも軒並み自信を無くすほど。 -
【人間から見た美しさ】
彼らにとっての絶対的な価値基準は「観客(人間)が見てどう感じるか」「どれだけ歓声を上げさせ、熱狂させるか」です。
神の視点や自らの感性ではなく、あくまで地上の人間から見て美しいかどうか、が全てなのです。
計算された調和、一寸の狂いもない完璧なパフォーマンス、そして観客という「人間」を中心とした価値基準。
MDUの理念そのものが、ルネサンスの精神です。
だからこそ、人間のスケールを無視して「内なる魂の衝動のままに生み出される芸術」に仕えようとするValkyrieの在り方は、彼らから見れば「理解しがたい野蛮なもの」として映るはずです。

『MELLOW DEAR US VS Valkyrie』を決する課題曲『Stranger's Sun』。
アイドル同士の「対決」として用意された舞台で、その「VS」の構図は、実は数百年前の歴史からすでに始まっていたのです。
——MDUが纏うルネサンスが、Valkyrieが纏う中世を「野蛮だ」と見下して名付けた。つまり、「ゴシック」という様式の名前そのものに、この二つの美意識の対立(VS)が初めから刻み込まれていた。
偶然の一致と言えばそれまでかもしれません。
ですが、私が無理にこじつけるまでもなく、美術史の事実と彼らの理念をただ並べただけで、恐ろしいほどに見事に重なってしまうのです。
ですが、私が無理にこじつけるまでもなく、美術史の事実と彼らの理念をただ並べただけで、恐ろしいほどに見事に重なってしまうのです。
同じ舞台の、違う世紀——二つの枠組みが示す対立
ここまでの情報を整理します。
| 要素 | Valkyrie | MDU |
|---|---|---|
| 時代 | 中世(ゴシック) | 16世紀(ルネサンス) |
| 衣装 | 典礼服・ダルマティカ | 宮廷服・プールポワン |
| 造形 | 身体を無視する | 理想の身体を作り出す |
| 志向 | 垂直に、天へ | 水平に、地上へ |
| 中心 | 神 | 人間 |
「司祭と貴族」という第一印象は、半分当たっていました。
けれど二組の本当の距離は、職業の違いではありません。三百年の、時代の違いです。
けれど二組の本当の距離は、職業の違いではありません。三百年の、時代の違いです。
そして舞台はゲームの舞台と同じくフランスでした。ゴシックが生まれた国であり、イタリアからルネサンスを輸入した国でもあります。二つの様式が実際に隣り合った土地に、いまこの二組が立っている。
本編考察で、私はこの曲『Stranger's Sun』を「永遠と刹那」の激突として読みました。
Valkyrieは、朽ちて滅びようと価値を求む者へ遺そうと歌います。死後もなお残る芸術。神の時代が信じた、永遠。
MDUは、一瞬しかない生命を燃やせと歌います。今日を生きる悦び。人間の時代が謳歌する、刹那。
MDUは、一瞬しかない生命を燃やせと歌います。今日を生きる悦び。人間の時代が謳歌する、刹那。

それは思想の違いであると同時に、神の時代と、人間の時代の違いでもありました。 衣装は、最初からそう語っていたのだと思います。 二人は中世の祭服で立ち、四人はルネサンスの宮廷服で立つ。
同じステージの上で、三百年の時を隔てて向かい合っているのです。
同じステージの上で、三百年の時を隔てて向かい合っているのです。
結びに代えて——歴史には続きがある
冒頭で私は、この三百年の隔たりが彼らの対立の「結末」すらも暗示している、と書きました。
最後に、その答え合わせをしてこの記事を閉じたいと思います。

歴史では、ルネサンスが勝ちました。
中世は終わり、ゴシックは「野蛮」と呼ばれ、人間の時代が来た。順番だけを見れば、MDUは次の時代の側に立っていることになります。
けれど、歴史はそこで終わっていません。
18世紀後半から19世紀にかけて、イギリスでゴシック・リヴァイヴァルが起こります。古典主義への批判から中世建築が再評価され、その運動はフランス、ドイツへと広がりました。そしてこのとき——
ゴシックは「がさつや野蛮と片づけられることなく、国家を代表する愛国的な様式に生まれ変わりました」。
一度殺され、数百年のあいだ蔑まれ、それでも戻ってきた。
それが、Valkyrieの着ている様式の、その後の歴史です。 そして彼ら自身が、同じ道を通ってきました。一度殺され、地下に籠もり、光を遠ざけ、無理やり引きずり出されて、いま舞台の上に立っている。
——千年先へ宝石を届けよう
永遠とは、決して忘れられないことではないのかもしれません。一度忘れられても、必ず戻ってくること。
ゴシックという様式が、そうであったように。
ゴシックという様式が、そうであったように。

このトーナメントの勝敗がどうなるかは分かりません。
けれど彼らが纏っているものが指し示す時間は、一度の勝ち負けよりも、ずっと長く深いのだと思います。
けれど彼らが纏っているものが指し示す時間は、一度の勝ち負けよりも、ずっと長く深いのだと思います。
【予告】ところで、一人だけ動きが違う男がいます
最後に一つだけ。
この記事では、二着の衣装を「垂直と水平」「神と人間」として整理してきました。
しかし、MVのラストカットには、その法則から明確にはみ出している人物が一人います。

MDUの三人——ジュイス、舞珠、チトセは、胸の前で手を合わせ、正面の客席へ差し出しています。水平の所作です。人間へ、地上へ向けた身振り。
ところが、右端の一人だけが、腕を真上へ伸ばしています。
円果望見。
ルネサンスの宮廷服を纏いながら、身体が示す方向だけが、Valkyrie側の垂直を向いている。
なぜ彼だけが天を指しているのか。小冊子『Chocolat Assort』の独白を改めて読み返すと、ぞっとするような答えが見えてきました。
ただ、この話を始めると、それだけでもう一本分の長さになります。別記事で、じっくり書きます…!